日別アーカイブ: 2024年6月18日

会報No.104 -その6-

世話人の思い

Gさん            

京都肝炎友の会の世話人をしています。それは感謝の気持ちからです。

主人がC型肝炎と分かった2002年、消化器内科のある病院に行きました。治療はインターフェロンをしましたが、血小板の数値が下がりすぎ断念、その後強力ネオミノファーゲンシー静脈注射を続けていましたが、現役会社員にとって通院は大変で疲れてしまい行かなくなってしまいました。その頃は全くって言っていいほどこの病気に関する情報はありませんでした。C型肝炎の医療講演があると情報があれば知識を得るために行っていました。ある講演でC型肝炎の患者は肝臓専門医のいる病院に行くようにと聞き帰宅しました。自宅の近くの病院におられることがわかり肝臓専門医にようやく診察してもらうことができました。その時の医師とのやり取りにより、すごく安心できたことを覚えています。通院しながらも情報を求めて医療講演会にはいろいろ行っていました。

その中のひとつが京都肝炎友の会の医療講演会、たくさんの情報・知識を得ることができました。心から感謝しました。ある診察の日、主治医が『医師ができることは限界がある。患者自身が患者同士で知識、思い、情報等を共有すること語り合うことが良いこと』と提案され、京都肝炎友の会に主人が入会しました。その後世話人として参加しました。そして、妻である私は主人にくっ付いて行きました。世話人会も会報発送も一緒に、時には日肝協の全国大会に徳島、栃木、兵庫、大阪と出席しました。自分の病気と向かい合いながら、目的をもって生活する主人の姿は、私の目には病人ではありませんでした。ともに過ごした良い時間でした。C型肝炎の新薬で、C型肝炎ウイルスは排除でき、定年まで勤め、これからゆっくり過ごそうと思っていましたが肝臓が悲鳴を上げ亡くなりました。 会報NO.91を編集途中で出来上がっていませんでした。続きは私がしました。そして今回NO.104を仕上げています。主人と過ごした京都肝炎友の会への感謝とともに引きつづき私にできることをしたいと思っています。これからもよろしくお願いします。

Hさん

私はB型肝炎ウイルスキャリアです。大阪弁護団のもと裁判をして認定されました。

そして言葉の意味さえ分からない状態で肝炎友の会の世話人となり9年になりました。

その中で教えてもらったり、各大学の消化器内科の諸先生方の講演を聞いたりしながら少しづつ理解ができるようなっています。

今はB型肝炎ワクチン(幼児接種)ができ感染が防げるようになっています。

    一生に一回は必ず肝炎検査を受けてください。無料です

Iさん

世話人をしてもう20年をはるかに超えました。C型肝炎という言葉も知りませんでした。当時は職場で健康診断の結果が出るとみんなと見せ合って話題になるのはコルステロールとか血糖値でした。肝機能など話題にも挙がっていませんでした。見せあう中でなんで他の人より肝機能数値が高いのだろうと不思議には思っていました。

もちろんどこがしんどいわけではないので「再診を」という診断結果を2回無視しました。同じ職場にB型肝炎だという若い同僚がいることは知っていました。B型肝炎がどんな病気なのか聞いたかもしれませんが、右から左でした。当時みんな馬車馬のように働いている中、彼女は休憩時間を要求し、更衣室で休憩することをみんな認めていました。認めたというより彼女はそうせなあかん人なんだと見ていたと思います。ウイルス肝炎がどんな病気なのか分かった今、彼女には大変申し訳なかったと思っています。彼女はそれから何回も入退院を繰り返し、あちらこちらの病院を駆け巡り、最後は失意のままなく若くしてなくなりました。世話人になる決意をした一つに知らないことの怖さでした。

そして私は50歳の時C型肝炎と診断されました。非A・非Bウイルス肝炎でないC型ウイルスが発見されて2年目ぐらいです。インターフェロン注射を4週間しました。たくさんC型肝炎の患者が入院していました。8人部屋で3室くらいほとんどがC型肝炎でした。夜8時に注射が始まる。それまで入院中にかかわらず、許可さえもらえば出入り自由。外でランチしたり、市内をうろうろしたり。8時になると「フェロン部屋の皆さんお部屋のお戻りください」という放送がありました。それでも昨日まで楽しい人が今日誘いに行くとカーテンがかかり出てこない。いつの間にかいなくなりました。副作用がきつく治療を断念したそうです。

私の治療はその時は消えるのですが再燃。55歳で同じ2回目の治療。又再燃。60歳で同じ治療をしたのですが思うような数値が出ない。このままこの治療を続けたら消えるかもしれないという主治医の言葉を信じたのと、絶対治すんだという気持ちが強くあり継続を決意しました。唯4週間、健康保険は使えるがあとは自費。当時インターフェロンは一本一番安いので2万円くらいだったかなー。よし退職金使いきるぞーと決めたものの、一番安いインターフェロンの注射に3か月くらい市内まで通いました。そのあと近所の先生に変えていただき1年くらい頑張りました。副作用でしょうか。いろんなことが出ました。1番困ったのはめまいでした。とにかくいつも体はフラフラして何かにつかまっていないと立てない不安定状態。外に出るときは夫のズボンのベルトにしがみついて歩いていました。これを見ている近所の人は「あんたとこはいつも手つないでなかええなー」と羨ましがられたものでした。インターフェロンの長期使用が保険適用となり差額も返りました。ウイルスも消えました。インターフェロン単独で治ったのは2パーセントくらいだったそうです。賢明な判断をされた主治医の先生に感謝感謝です。徐々にはふらつきも改善してきましたが体がしゃんとするまで10年はかかりました。

患者会には入院しているとき入会したのですが世話人なったのはウイルスが消えてから63・4歳だったでしょうか。それから20数年今日に到っています。世話人会の皆さんもいろんなしんどさを乗り越えてこられています。ですから世話人会は元気ですし、やる気満々で楽しいです。

この30数年でウイルス性肝炎を取り巻く状況は大きく変わってきました。そのきっかけは国が引き起こした病気であることを認めた肝炎対策基本法の成立があったからです。その底辺には多くの犠牲もありました。この人たちに対しても世話人会の役目はまだまだ続くことでしょう。