会報NO.104 -その4-

世話人の思い

Aさん

昨年令和5年11月より京都肝炎友の会の世話人に参加しています。 

令和2年3月に肝炎医療コーディネーターの研修後、認定されました。当時はコロナ感染の状況の下でもあり、肝炎友の会の活動も自粛されているとのことでした。昨年5月8日からコロナは感染症となりましたが、感染症はジワリジワリと増加の状況でした。そのような中、京都府から肝炎医療コーディネーターの認定更新の案内送付がありました。その中に京都肝炎友の会の冊子が入っておりそれを見て改めて連絡し、世話人会に参加することになりました。世話人会では皆さん忌憚のない真摯な話し合いには頭が下がる思いです。京都肝肝炎友の会が今まで積み上げてきた活動の実績を京都府や京都市と相好的な関係を継続させながら会が発展できることを願っています。

Bさん

私は今年の4月でB型肝炎を発症して、50年になります。

そして、京都肝炎友の会には2017年の総会に参加して以来、世話人会にも参加するようになりました。 この間、7年弱ですが、私たちウイルス性肝炎患者の置かれた状況や国・自治体との関係など多くを知ることが出来ました。

 発症の主な原因は国の誤った判断によるもので、肝炎対策基本法の前文にも示されています。その上でこれからも、患者支援の思いをしっかり持って活動を継続していきたいと思っています。

Cさん

結婚して長女を出産。これは新しい人生に始まりです。その時告げられたのは「あなたはB型肝炎です。母乳はあげないでください。同じ箸で食べ物を口に入れないでください」と。母乳は捨てました。それでも子供は母子感染していたのです。長男も同じように母子感染していました。私自身は子供が小学生のころ、肝炎を発症しました。そのころは母親の介護もありました。治療もほとんどせず、ビタミン剤だけ注射してもらっていました。肝数値値は上がったり、下がったり。そんな中で少し調子のいい時をついて動いていました。両親4人を20年間介護しました。そしてその後は子供のフォローに変わりました。娘が働きながら家庭を持つことは体にダメージを与えるのではないかと思い、少しでも休ませてあげたいと思ったからです。娘が肝臓や他の臓器の治療入院の時は娘や、孫たちに寄り添ってきました。長男は就職活動がうまくいかず、体を壊し始め、あっという間に脳性肝炎となり肝移植まで進行してしまいました。それからもう5年以上になりますが、体を維持するため、大量の薬を飲み続けています。そのためか薬による体調の変化が見られ、良かったり、悪かったりを繰り返しています。体にも心にも多大のダメージが与えられているようです。子供も私も悩みながらの5年間です。仕事にも行けるようになりましたが体の不調により活動できないことが多いです。私はじっと見守るしかできません。これからもずーっと子供たちを見守るだけです。

月1回の世話人会に参加しています。肝臓の専門医の講演会や、薬メーカーの参加されて一緒に話を聞いたりしました。肝臓のことについて様々なことを知ることも出来ました。特に会報は繰り返し読めるのでいいと思います。世話人会でみんなの顔を見ると肝炎の話が中心になってしまうのですがそれは安らぎにもなっています。

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