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第34回日肝協全国代表者会議・イン明石 第二弾

開会式の挨拶の中で語られていることが私たちウイルス性患者を取り巻く情勢です。国もいろいろ施策を講じてくれていますが知らなかったり、知っていても使い勝手が分からなかったり、条件が厳しかったりで医療費助成の利用率もあがりません。

ウイルス検査率も全国バラバラです。均てん化を目指して国といろんな会議で詰めていますがなかなかいい返事がもらえないようです。国の施策が各市町村にどう徹底されているのか、今度は私たち患者会が京都府に詰めていかねばなりません。最後に明石アピールが満場一致で採択されました。

アピール文です↓↓↓↓

日本肝臓病患者団体協議会 第34回全国代表者会議in兵庫アピール

日本肝臓病患者団体協議会(日肝協)「第34回代表者会議」が2024(令和6)年11月4日に明石にて開催され、全国17患者団体53名が参加しました。

日肝協の長年の要請活動とB型肝炎訴訟や薬害肝炎訴訟勝訴等の追い風から、2009年に「肝炎対策基本法」が制定され、B型肝炎とC型肝炎患者に対する良質で適切な医療の提供などによって肝炎を克服するための対策が、法的な根拠に基づいて実施され、肝炎医療や福祉、救済制度が急速に展開しました。この「肝炎対策基本法」の下に国が肝炎対策を進める指針である「肝炎対策基本指針」は、一昨年に2回目の改定がされ、指針改定に基づき新たな肝炎対策が国や各都道府県、各市町村で展開しているところです。

肝炎ウイルス検診や治療体制は前進したとは言え、各都道府県や各市町村など、各自治体での肝炎対策には未だ大きな格差があり、肝炎ウイルス検診率や陽性者フォロー率、重症化予防事業の定期検診率、肝がん・重度肝硬変治療研究促進事業助成率、肝がんによる死亡率等、医療や福祉における各自治体での格差を是正する均てん化が重要な課題であり、肝炎医療や福祉の均てん化を求めた取り組みを推進しましょう。

今やC型肝炎は極めて有効な治療薬が開発され、ほぼ完治する時代を迎えました。B型肝炎ではユニバーサルワクチン定期接種化による母子感染防止策が2016年から始まり、すべての新生児に抗HBs人免疫グロブリンやB型肝炎ワクチンが接種されるようになりました。核酸アナログ剤によりウイルスの増殖を抑えることができるようになりましたが、未だ根治できる画期的な治療薬はなく、WHOが提唱する2030年までに世界からウイルス性肝炎を撲滅するという目標達成への大きな鍵となっています。B型肝炎を根治する画期的な創薬に向けた働きかけを進めましょう。

2018(平成30)年12月から「ウイルス性肝がんと重度肝硬変の医療費助成」が治療研究事業としてスタートしましたが、2019(令和元)年度と2020(令和2)年度では厚生労働省の助成見込数の毎月約7,200名に対し、助成実績数は月約80人と見込数の約1%と大きく乖離しました。2021(令和3)年4月の1回目の改定で通院でも適応となりましたが、助成実績数は見込数の約3%~5%に留まり、患者への支援に結びついていません。厚生労働省や各党国会議員への要請活動や肝炎対策推進協議会での発議とともに国会請願を行うなど粘り強く取り組んだ結果、2024(令和6)年4月の2回目の改定で過去2年間に2月目から入院・通院とも、家族年収370万円以下であれば適応となり、要件は緩和されました。しかし、ウイルス性肝がんや重度肝硬変となった患者の多くは、幼少期の予防接種や不衛生な治療行為での注射針の使いまわし、輸血、止血剤フィビリノゲン使用等に伴うウイルス感染による医原病です。今後は、年収の壁と期間制限の撤廃を求め、厚生労働省や各党国会議員への要請活動や肝炎対策推進協議会での発議とともに国会請願を行うなど、更なる医療費助成の条件緩和を求めて、粘り強く取り組みを推進しましょう。

未だ、多くの肝硬変・肝がん患者が苦しんでおり、肝硬変・肝がんの治療法・治療薬の開発は、今後も解決すべき最重要課題です。自己免疫性肝疾患(AIH・PBC・PSC)の患者は難病ゆえに画期的な治療法の実現に時間を要しています。脂肪性肝疾患(MASH・MASLD)の患者も急増しています。重度な肝臓病患者の最後の砦である脳死肝移植も移植先進国に比べ極端に少ないなど、解決途上の問題がたくさん残されており、私たち患者団体が果たすべき役割はまだまだ大きいと考えます。

肝炎患者に対する偏見差別の問題も根強く残っています。この4年間の新型コロナウイルス(COVID-19)との闘いで浮き彫りになったように、感染症患者への偏見差別は幾度も繰り返されてきました。正しい知識の普及啓発とともに、実際に辛い思いを経験した患者の側から訴え続け、肝炎患者のみならず、すべての人が差別されずに平等であり、互いの人権が尊重される社会をつくるための取り組みを進めましょう。

日肝協には、現在17都道府県で21の患者会が加盟し、会員数は1,686人(昨年度は18都道府県で22患者会、会員数2,021人)です。患者の高齢化、医療の進歩、コミュニケーション手段の多様化などにより、患者会とその会員は減少し、解散に至った患者会もあります。この状況の中で、今後の日肝協や患者会のあり方や体制の保持が大きな課題ですが、日肝協の力を結集して乗り越えましょう。

全国B型肝炎訴訟原告団・弁護団、薬害肝炎全国原告団・弁護団とも連携し、「国の肝炎対策推進協議会」「厚生労働省や与党の肝炎対策推進議員連盟をはじめ各党国会議員への働きかけ」「地域の肝炎対策協議会」等、様々な場で患者としての声を上げ、肝臓病に苦しむ多くの仲間の救済に取り組みましょう。

2024(令和6)年11月4日 日本肝臓病患者団体協議会 第34回全国代表者会議

活動報告11月

第34回日肝協全国代表者会議・イン明石

日肝協の患者会は17都道府県21患者会1562人です。患者会を解散するところが増えているようです。

京都肝炎友の会から常任理事も送っています。最近はWEBが多いようですが、国との会議は大変疲れるようです。

日肝協もHPを開いています。資料として日肝協開会のあいさつ文と来賓の方のあいさつ文です

日肝協代表幹事:渡辺 孝氏

 皆様おはようございます、日本肝臓病患者団体協議会 代表幹事の渡辺孝でございます。

開催にあたり、ひと言ご挨拶申し上げます。

 本日は、全国の患者会から大勢のご参加を頂き心より感謝申し上げます。

長年にわたり、日本肝臓病患者団体協議会の活動目的に沿って、皆様方のご協力とご支援をいただき、多くの課題を達成して来ました。その中でも、2009年に「肝炎対策基本法」が制定され、具体的な対策に向けて「肝炎対策基本指針」が打ち出され、改定を重ねて来ました。これにより、肝がん撲滅のため、肝炎ウイルス検診を初め、陽性者フォローアップ、重症化予防、といった諸課題に取り組み国会請願活動を展開して来ました。 更に、2018年には、「ウイルス性肝がんと重度肝硬変の医療費助成」の研究事業がスタートし、その事業目標達成にむけて、国会請願活動を実施し採択され、2024年に制度が見直されその結果を注視して参ります。最近、増えている「脂肪性肝炎」や「自己免疫性肝炎」の患者さんにも目を向けて共に、医療と福祉の充実を図って参ります。

本日は、お休みの中、厚生労働省 肝炎対策推進室長の安田正人様始め、地元兵庫県 保健医療部、疾病対策課長の河原秀和様、さらに日本肝臓学会、国会議員の先生方のご参列とご支援をいただき心から御礼申し上げます。

 後半には、兵庫医科大学 教授の飯島尋子先生による「肝疾患診療の現状と今後の対策」と題し医療講話をお願いしています。会場に参加された患者会の皆様、先生の講話をいただき「賢い患者」になりましょう。

 最後に、ご参集の皆様のご健康とお幸せを願い、毎日がトキメキのある生活を送れますようにご期待申し上げ、挨拶といたします。ありがとうございました。

来賓挨拶

厚労省 健康・生活衛生局 肝炎対策推進室 室長 安田正人氏

 本日は日本肝臓病患者団体協議会・第34回交流のつどい代表者会議が開催されることを心からお慶び申し上げます。

私の実家は宝塚市で、昨日は実家に泊まって少し親孝行が出来たのではないかと思っています。そういう意味でも、この様な会議に参加出来て感謝をしております。

日本肝臓病患者団体協議会におかれましては、全国的な患者団体として、肝臓病の患者の様々な支援に取組まれるなど、肝炎対策の推進に大きな役割を果たしてこられました。

長年に渡る皆様のご尽力に敬意を表します。先ほど代表幹事様より話された通り、平成22年に肝炎対策基本法が施行されて、その後肝炎対策基本指針を改訂しながら、施策を遂行して来ました。肝炎対策基本法は議員立法という形で作られています。役所に任せていたら取り組みが遅いだろうということで国会議員の先生方に主導していただいて改革が進められて参りました。皆様のご意見ご指導をいただきながら、厚生労働省として遅れがちな所が進めてこれたのかと思っています。今後も宜しくお願い申し上げます。

 今後の大きな課題として、B型肝炎の新薬がいつ出来るのかに加えて、肝がん・肝硬変の支援をもう少し充実出来ないかということだと思います。皆様のご要望をいただき肝がん・肝硬変の医療費助成は、この4月から更なる見直しをしたところでございます。おそらく未だ足りないというお気持ちがあろうかと思いますが、まずは見直しについては必要な方に助成が届くように我々も努力したいと思っています。

患者団体の皆様のご意見を伺いながら、肝炎対策の更なる推進に向けて取り組みを続けて参りたいと思います。引き続き、ご理解とご協力、そしてご指導を賜りますようお願いします。最後にこの会議が実り多いものでありますようご声援申し上げると共に、ここにお集まりの皆様のご発展を祈念しまして私のご挨拶とさせていただきます。

活動報告

皆さんお変わりございませんか。

相変わらずコロナだ、インフルエンザだという声が途絶えません。暑かった日々が終ったと思うともう12月になってしまいました。

今年は何処の紅葉も大変見ごたえがあり、そして改めて紅葉の美しさに感激しています。グラデーションの美しいのはイロハモミジというそうです。

久しぶりのHPの更新です。今年度の活動報告をいたします。

今回は京都肝炎デーです

7月:ゼスト御池で世界肝炎デーにちなんで京都でも宣伝活動をしました。

京都府・京都市・B型肝炎訴訟団の皆さん・訴訟団弁護士・京都肝炎友の会・総勢20数人が「一生で一回の肝炎ウイルスの検査を受けましょう」と通行人にうちわやパンフレットで宣伝しました。わたしたちはコーディネーターとして相談ブースを設け数人の相談も受けました。

次回は日肝協全国代表者会議です。

会報No.104 -その6-

世話人の思い

Gさん            

京都肝炎友の会の世話人をしています。それは感謝の気持ちからです。

主人がC型肝炎と分かった2002年、消化器内科のある病院に行きました。治療はインターフェロンをしましたが、血小板の数値が下がりすぎ断念、その後強力ネオミノファーゲンシー静脈注射を続けていましたが、現役会社員にとって通院は大変で疲れてしまい行かなくなってしまいました。その頃は全くって言っていいほどこの病気に関する情報はありませんでした。C型肝炎の医療講演があると情報があれば知識を得るために行っていました。ある講演でC型肝炎の患者は肝臓専門医のいる病院に行くようにと聞き帰宅しました。自宅の近くの病院におられることがわかり肝臓専門医にようやく診察してもらうことができました。その時の医師とのやり取りにより、すごく安心できたことを覚えています。通院しながらも情報を求めて医療講演会にはいろいろ行っていました。

その中のひとつが京都肝炎友の会の医療講演会、たくさんの情報・知識を得ることができました。心から感謝しました。ある診察の日、主治医が『医師ができることは限界がある。患者自身が患者同士で知識、思い、情報等を共有すること語り合うことが良いこと』と提案され、京都肝炎友の会に主人が入会しました。その後世話人として参加しました。そして、妻である私は主人にくっ付いて行きました。世話人会も会報発送も一緒に、時には日肝協の全国大会に徳島、栃木、兵庫、大阪と出席しました。自分の病気と向かい合いながら、目的をもって生活する主人の姿は、私の目には病人ではありませんでした。ともに過ごした良い時間でした。C型肝炎の新薬で、C型肝炎ウイルスは排除でき、定年まで勤め、これからゆっくり過ごそうと思っていましたが肝臓が悲鳴を上げ亡くなりました。 会報NO.91を編集途中で出来上がっていませんでした。続きは私がしました。そして今回NO.104を仕上げています。主人と過ごした京都肝炎友の会への感謝とともに引きつづき私にできることをしたいと思っています。これからもよろしくお願いします。

Hさん

私はB型肝炎ウイルスキャリアです。大阪弁護団のもと裁判をして認定されました。

そして言葉の意味さえ分からない状態で肝炎友の会の世話人となり9年になりました。

その中で教えてもらったり、各大学の消化器内科の諸先生方の講演を聞いたりしながら少しづつ理解ができるようなっています。

今はB型肝炎ワクチン(幼児接種)ができ感染が防げるようになっています。

    一生に一回は必ず肝炎検査を受けてください。無料です

Iさん

世話人をしてもう20年をはるかに超えました。C型肝炎という言葉も知りませんでした。当時は職場で健康診断の結果が出るとみんなと見せ合って話題になるのはコルステロールとか血糖値でした。肝機能など話題にも挙がっていませんでした。見せあう中でなんで他の人より肝機能数値が高いのだろうと不思議には思っていました。

もちろんどこがしんどいわけではないので「再診を」という診断結果を2回無視しました。同じ職場にB型肝炎だという若い同僚がいることは知っていました。B型肝炎がどんな病気なのか聞いたかもしれませんが、右から左でした。当時みんな馬車馬のように働いている中、彼女は休憩時間を要求し、更衣室で休憩することをみんな認めていました。認めたというより彼女はそうせなあかん人なんだと見ていたと思います。ウイルス肝炎がどんな病気なのか分かった今、彼女には大変申し訳なかったと思っています。彼女はそれから何回も入退院を繰り返し、あちらこちらの病院を駆け巡り、最後は失意のままなく若くしてなくなりました。世話人になる決意をした一つに知らないことの怖さでした。

そして私は50歳の時C型肝炎と診断されました。非A・非Bウイルス肝炎でないC型ウイルスが発見されて2年目ぐらいです。インターフェロン注射を4週間しました。たくさんC型肝炎の患者が入院していました。8人部屋で3室くらいほとんどがC型肝炎でした。夜8時に注射が始まる。それまで入院中にかかわらず、許可さえもらえば出入り自由。外でランチしたり、市内をうろうろしたり。8時になると「フェロン部屋の皆さんお部屋のお戻りください」という放送がありました。それでも昨日まで楽しい人が今日誘いに行くとカーテンがかかり出てこない。いつの間にかいなくなりました。副作用がきつく治療を断念したそうです。

私の治療はその時は消えるのですが再燃。55歳で同じ2回目の治療。又再燃。60歳で同じ治療をしたのですが思うような数値が出ない。このままこの治療を続けたら消えるかもしれないという主治医の言葉を信じたのと、絶対治すんだという気持ちが強くあり継続を決意しました。唯4週間、健康保険は使えるがあとは自費。当時インターフェロンは一本一番安いので2万円くらいだったかなー。よし退職金使いきるぞーと決めたものの、一番安いインターフェロンの注射に3か月くらい市内まで通いました。そのあと近所の先生に変えていただき1年くらい頑張りました。副作用でしょうか。いろんなことが出ました。1番困ったのはめまいでした。とにかくいつも体はフラフラして何かにつかまっていないと立てない不安定状態。外に出るときは夫のズボンのベルトにしがみついて歩いていました。これを見ている近所の人は「あんたとこはいつも手つないでなかええなー」と羨ましがられたものでした。インターフェロンの長期使用が保険適用となり差額も返りました。ウイルスも消えました。インターフェロン単独で治ったのは2パーセントくらいだったそうです。賢明な判断をされた主治医の先生に感謝感謝です。徐々にはふらつきも改善してきましたが体がしゃんとするまで10年はかかりました。

患者会には入院しているとき入会したのですが世話人なったのはウイルスが消えてから63・4歳だったでしょうか。それから20数年今日に到っています。世話人会の皆さんもいろんなしんどさを乗り越えてこられています。ですから世話人会は元気ですし、やる気満々で楽しいです。

この30数年でウイルス性肝炎を取り巻く状況は大きく変わってきました。そのきっかけは国が引き起こした病気であることを認めた肝炎対策基本法の成立があったからです。その底辺には多くの犠牲もありました。この人たちに対しても世話人会の役目はまだまだ続くことでしょう。

会報No.104 -その5-

世話人の思い 

Dさん

私が、B型肝炎のキャリアであると言うことは30代前半に献血をし、日赤からあなたはB型肝炎のためもう献血に来ないでと言うハガキを貰い知りました。

B型肝炎て何や?その頃の医学界では、今で言うコロナと同じように怖いウイルス性の病気だと認識があったようですが、近所の医者へ聴きに行くと思い切りいやな顔をされ何の指示も無く、もう来るなと言うような態度だった記憶のみあります。今から18年前の62才の時に肝臓がんを発症し、(ステージⅡ 4cm大)と診断され切除手術を受けました。B型肝炎のキャリアだと言われてから、約30数年間無症状だった。本当に無症状だったのか? 50歳を過ぎた頃からB型肝炎のキャリアだと伝えて診察していただいていた、前記の医者ではない別の医者で血液検査を受け、肝臓の数値が悪い時に昨日徹夜でもされましたかと言われ数年そのままでした。

今の医療水準ならすぐに専門医へ行ってくださいと指示され、治療を受けてたら肝臓がんを発症していなかったかも!しかしその頃は、現在のように肝臓の専門医が多くいるわけでも無くウイルス性肝炎について知識の無い自分ではどうしようもありませんでした。

切除手術後、私を救ってくれたのは医者ではありませんが医学界に顔が効く大学時代の現在は東京在住の友人で、必ず再発するから少しでも長生きしたいなら自分の病気の状況を勉強しろと言われました。唯一彼にだけその昔にB型肝炎のキャリアであることを伝えてありました。

切除手術翌年再発を宣告され、その時期に各地で行われていたあらゆる肝臓の医療講演会に行き肝臓がんについて勉強を始めました。再発後の治療についても切除術を受けた病院の先生とは意見が合わず他の病院でラジオ波(RFA)で治療して貰うことにしました。

再発治療後病気について患者会が一番情報を得られるのではと思い、15年前に京都肝炎友の会に入会させていただきそれ以来世話人をさせていただいています。

その頃の患者会は200名を超える登録会員数でC型肝炎の患者さんがほとんどでC型肝炎は治る薬が出来、それまでB型肝炎を眠らせるアナログ製剤をうらやましいと言っていたのに、一夜にして逆転?B型肝炎は取り残されました。生きている間にC型肝炎の薬のようにB型肝炎も治る薬ができれば良いのにと願っております。

肝炎友の会では色々学ばせて戴きました。医療講演会の担当になり、準備から先生方への交渉京都府肝炎対策協議会の委員を拝命し、府の肝炎対策の講師や製薬会社の社員教育看護学校や大学での患者講義をさせていただいたり、15年間大変勉強させて戴きました。

患者講義後の批評は多数戴きましたが、その中で一つ心に残っているのは、Dさんの話をもう少し早く聞いていたらうちの親父ももう少し長く生きられたのでは?と言う内容で身内に患者さんがおられたり、患者本人で困っておられる方が多くいらっしゃるのではと患者会の存在意義を大いに感じます。                                   

最後にこの15年間の間に私のまわりで患者会の世話人が3人それ以外で2人の方がC型肝炎やB型肝炎が原因でお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。

私が肝細胞がん発症後18年も生きてこられたのは、家内の献身的な介護と友人の存在、それと肝炎友の会の存在のお陰と思います。

Fさん

母子手帳では                     

私はC型肝炎患者です。

1973年に第一子を出産し出産後出血が止らず医師から半日後に「出産後なので輸血が出来ないので、血液製剤で止血する。このままなら死ぬよ」と言われその治療を受けました。その後も疲れやすい日々を過ごしていました。

25年後(49才ごろ)手にしびれが出て神経内科を受診していたとき医師から「ウイルス検査しても良いか」と言われ検査してもらいました。その結果はC型肝炎でした。

その時点では、罹患率は25%で担当医と相談して、治療はしませんでした。(私の肝数値は悪くはなかったので)

C型肝炎と分かってから10年後60才のとき高齢ということでインターフェロンの治療を始めましたが、一回目も二回目もウイルスが消えることはありませんでした。

ハーボニ錠でやっと「ウイルス検出せず。」になりました。長い間、死ぬか、薬ができで間に合うか、と言われてきましたので薬が間に合いました。10年間は検査が必要ですが、C型肝炎にも救済制度が出来ていました。救済制度を受けようと弁護士さんに相談して、調べてもらいました。

出産後の時なので、母子手帳には、病院名も担当医師名も分かっていました。しかし病院にはカルテは無く(カルテの保管期間5年)担当医師も亡くなっていましたので、証明が出来ず救済の対象にはなりませんでした。病院自体は薬害の止血剤(フィブリノゲン )を使っていたことを認めていましたが、カルテがないので、誰に使用したか分からないのです。

母子手帳には、子供の成長記録は記入してありますが。母親の産後の体調等の記録するところはありません。救済制度には役に立ちませんでした。

  母子手帳なのに!